八鹿高校事件と部落解放同盟
後編
部落解放運動が利権闘争と暴力運動になっていった要因の一つはマスメディアが報道してこなかったことにもあると考える。解放同盟の委員長の朝田善之助氏は「部落民以外は差別者」という方針を掲げ同和事業の窓口の一本化を行政に押し付けた。兵庫県西宮市では役場が解放同盟員に占拠され暴力的糾弾が行われた。行政による同和事業は朝田氏に独占され、行政が断れば差別だと糾弾行動を激化させる暴挙が繰り返されていた。このような行動は朝田氏のみならず丸尾良昭氏にも利用され兵庫県各地でローラー作戦と呼ばれる役場や学校などへ押し入り点検と称して不法に占拠する行為を繰り返していた。丸尾氏は連日連夜、罵声と暴力に塗れた点検を繰り返し、役場や行政機関の職員が丸尾氏の言い分を受け入れないと差別だと糾弾行動に入り暴力闘争に移行した。その最たるものが八鹿高校事件である。解放同盟は丸尾良昭氏を先頭に八鹿高校を占拠し解放教育が足りないことを糾弾した。解同の不法占拠を激励に訪れたのが自民党の酒井時忠兵庫県知事である。酒井知事は選挙対策として解同と連帯していた。酒井知事の激励に後押しされ解同によって不法占拠された八鹿高校は無法地帯となっていった。解放同盟による教員に対するリンチは凄まじく13時間にわたる暴行によって負傷した教員は48人。そのうち29人が病院に入院するほどの怪我を負い1名は危篤状態にまで陥っている。解同の糾弾バスや音響設備や活動費などすべてが八鹿町の税金によって支出されている。八鹿高校の不法占拠に対して生徒たちが警察に出動要請を行っているが学校側はそれを断っている。この頃、警察は解同による教員への暴行が行われる中で、その暴挙を取り締まらないどころか解同の活動をバックアップするかのように助けを求める生徒を追い返し解同の街宣車を誘導したりしている。そして、町役場も見て見ぬふりを決め込んだ。丸尾氏率いる解放同盟は運動員を続々と八鹿高校に集める。但馬地方のほとんどの行政機関や社民党議員や労働組合等が解同のこの暴挙に賛同し八鹿高校の校庭での糾弾行動に参加している。しかし、町民を中心に1万人を超える解同への抗議デモが巻き起こり事態は一変する。町民たちの決死の抗議デモ目の当たりにし警察は手のひらを返し事態の収拾を図る。事件発生から10日を経て丸尾氏ら4人を逮捕することで騒動を治めた。解同と連帯する日本社会党は事件の目撃者は一人もいないなどという意味不明な言い訳を残している。解同の朝田氏は「不利益と不快を感じさせられたらすべて差別」「差別か否かは被差別者しかわからない」「日常で生起する問題で部落にとって、部落民にとって不利益と感じること一切が差別である」という暴論を唱え、差別に関する主導権や決定権は差別された者にあるという考えを根付かせた。この思想によって生み出されたものこそがエセ同和行為である。「差別者を作り出すことなど簡単なことだ」と吹聴する朝田善之助氏がエセ同和行為を正当化し、朝田氏の暴論に即したエセ同和行為を実践し、暴力によって町を支配しようとしたのが丸尾良昭氏なのであろう。後に丸尾氏は解同を除名されNPO法人部落解放人権ネット南丹地協を設立している。
八鹿高校事件もその他の同和絡みの事件もマスコミは報道することを躊躇っている。それだけ解同やエセ同和団体に社会全体が恐怖を覚えていたのだろう。マスメディアが報道しない自由を発動し続けたことが、解放同盟やエセ同和団体の横暴や犯罪行為の横行を許し、同和利権が膨らみ、暴力闘争が繰り返されることになった要因であることは間違いないと考える。そのような状況は現在でも大きくは変わっていない。誤った政治判断による負の連鎖は現在でも尚続いているのだ。何から取り掛かればよいのか私には思慮が足りないのだが、まずは解同を私物化し、私腹を肥やし、部落解放活動を暴力闘争に置き換えた朝田善之助氏を否定することから始めるべきだと考えた。朝田教育財団と朝田善之助記念館対して税制優遇の恩恵を大きく受ける公益財団法人の指定を取り消し、その財団の公的支援を取り止めなければならないと思料する。むしろ、人権と差別からの解放を売りものにした下劣な行為を推し進めた人物であろうことを広く世の中に明らかにすることが現実的な差別部落差別の解消につながるのではないだろうか。政治的敗北を糺すためにも人権を食い物にする行為の芽を摘むことが一義的に必要とされていると考えるがどうか。結果的に不正と暴力に塗れ血に汚れた水平社から引き継がれる荊冠旗(けいかんき)を排除することから人権を語れと申し上げたい。ちなみに部落解放に参画する在日韓国人、在日朝鮮人はエセ同和行為であると考える。階級差別が生まれた江戸時代において在日韓国人、朝鮮人は存在しないか、もしくはそれに含まれる対象とはなっていない。許栄中氏がエセ同和活動に便乗したことは周知であるが、そのような部外者の排除も差別解消には欠かせないことである。被差別部落の解放運動をする者は糾弾などの攻撃を行えば行うほど世間の差別意識は強まる可能性があることを肝に銘じる必要があろう。差別意識を論い糾弾行動を起こす者のどこが弱者なのか。弱者なんかでは決してないことは疑いの余地もない。行き過ぎた言論封鎖や糾弾行動は反社会的行為であると規定し、社会全体で追放を目指さなければならない。
参考
部落解放同盟 Wiki
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%83%A8%E8%90%BD%E8%A7%A3%E6%94%BE%E5%90%8C%E7%9B%9F
自由同和会 Wiki
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%94%B1%E5%90%8C%E5%92%8C%E4%BC%9A
八鹿高校事件
https://www.youtube.com/watch?v=09Bp-soQ0fo
【えせ同和対抗】朝田理論とは何か 神奈川県人権啓発センター
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