菅直人氏と池田元久氏と福島第一原発事故について

有言、事故・・・( ノД`)

 早いもので東日本大震災が発生して12年がた経つ。被災地の多くは復興を果たしつつあるが、福島県の一部地域では帰還困難区域とされたままであり2万6千人以上の人が避難生活を続けている。避難の原因になったのが東京電力の福島第一原発の事故である。チェルノブイリ原発事故と並ぶ国際的な評価尺度でレベル7とされる深刻な原子力事故とされる。死者1名、水素爆発による負傷者16名、放射線熱傷による病院搬送者2名、避難対象地域は半径20km、当初の避難者は約16万人、被害総額約21兆5千億円。現在は廃炉作業中であり2041年から2051年頃までかかると言われる。

 2024年1月に日本社会党から民社党、民主党と渡り歩いた元衆議院議員の池田元久氏が亡くなられた。池田氏は震災当時の菅直人内閣で経済産業副大臣の要職にあり東日本大震災が発生後に事故対応に追われる福島第一原発に政府の緊急対策本部の現地対策本部長として福島に派遣された人物である。池田氏は3月11日の夕刻から15日まで福島第一原発内やオフサイトセンターに滞在していた。池田氏は原子力発電に知見があるというわけではなく現地到着時に審議官から原発事故の説明を受けたりNHKのニュースを見て状況を把握したということを自身のメモに書いている。原発事故対応については保安院を通すと時間がかかるので省庁の次官級に直接電話するなどの役割を担っていたようである。震災発生翌年の2012年2月に事故調査委員会によって行われた池田氏への聴取によると3月12日の午前4時には菅直人総理が現地を訪問することを聞いたという。池田氏は菅総理の訪問を「未曾有の災害に直面している、津波で多くの家や船が流されている。人が何人行方不明になっているかわからない状況で72時間が人命救助の鉄則だ。72時間を有効に活用し人命救助に努力すべきだ。情報が集まり通信手段も確保されている東京にいる方が事故対応しやすいのではないか」と批判している。確かに池田氏の言う通りであろう。政府は地震、津波の被害と原発事故の二つ対応を迫られていた。池田氏は行政の原発事故対応の現地対策本部のトップなのだから事前に訪問を知らされていたのであれば後になって小言を言うのではなく総理訪問予定を知った時点で総理に自分の意見を進言するべきなのではないか。池田氏は経産省の黒木審議官にそのことを言わせようとしたが伝わらなかったとのこと。官僚や保安院が総理にそのようなことを言えるわけがないので池田氏のアリバイ作りに過ぎないのではないか。総理にそれを進言できるのは同じ政治家である池田氏本人しかいない。後から自分はこう思っていたのだと発言することは無意味である。池田氏の菅総理に対する批判はこれだけではない。菅総理の訪問時の振る舞いに関しても批判している。調査委員会の聴取の中で池田氏は菅総理が現地を訪問して間もなく『「何故ベントをやらないのか」という趣旨だったと思う。怒鳴り声ばかり聞こえ、話の内容はそばに居ても良く分からなかった。免震重要棟に玄関から入った。交代勤務明けの作業員が大勢居た。「何の為に俺がここに来たと思っているのか」と総理の怒声が聞こえた。これはまずい。一般の作業員の前で言うとは。』というメモを残し懐述している。続けて『吉田昌郎第一原発所長から、事故の状況説明を聴き、特に第一原発のベントの実施を強く求めた。吉田所長は総理の厳しい問い詰めに、「決死隊をつくってでもやります」と答えた。』とし、『現地対策本部長(池田氏)の背中に手を置き「頑張って」と激励した。しかし、総理の態度、振舞いを見て、同行した旧知の寺田学補佐官に「総理を落ち着かせてくれ」と言わざるを得なかった。また、政権の一員として、同席した関係者に「不快な思いをさせた」と釈明した。視察を終わって、総理がこの時期に現地視察をしたことと、現地で総理の態度、振舞いについて、指導者の資質を考えざるを得なかった。』と語った。菅総理の振る舞いを関係者に詫びたというのだ。だったら、寺田学補佐官に「総理を落ち着かせろ」なんて言わせなくても池田氏が自分でいえばよかったのではないか。当時は一官僚であった寺田氏より政治家である池田氏の方が総理に効果的に発言できるはずだが、自分は総理に何も言わず補佐官に落ち着けと言わせ、自分は総理の無礼を関係者に詫びて印象を良く保つ、池田氏の振る舞いにこそ問題があるのではないかという印象を受けるのは私だけだろうか。3月13日の新聞各社の総理の原発視察を報じる記事を読み漁ってみたが菅総理の蛮行に触れる記事は見当たらない。菅総理の現地視察の様子が明らかにされたのは原発事故から半年ほど経った頃に朝日新聞の「プロメテウスの罠」という福島第一原発事故に関する連載おいてである。聴取の中で池田氏はこの日の出来事のメモについて「人を後ろから鉄砲で撃つのは嫌いだから菅さんにもこの文章を渡した」と書いている。つまり、菅総理の福島第一原発視察の内幕を記したメモを菅総理に渡したというが、池田氏は菅総理に渡す前に既に朝日新聞に渡している。既に池田氏は後ろから鉄砲で撃っていたのだ。朝日新聞が報じることで池田氏がマスコミにリークしたことが菅総理にバレてしまう。バレしまったから池田氏は菅総理にメモの内容を告白したということになる。これについても池田氏は筋を通して事実を開示したという体裁でいるが、自残に菅総理に伝えたように取り繕ったに過ぎない。菅総理が怒鳴ろうが悪態をつこうが半年後に開示する暴露は単なる暴露であって事故対応に遡って功を奏することはない。池田氏は自己顕示欲を満たす為に暴露したのではないかと猜疑せざるを得ない。

 菅総理の3月12日早朝の現地視察について多くの批判が向けられている。菅総理に対応することで現場の事故対応が遅れたのではないか、政治的パフォーマンスだったのではないか、総理の口出しでベントをするタイミングが狂い放射能が東日本広域にばらまかれた、などある。確かに現場トップの吉田所長が1時間近く対応に当たっていることは緊急事態時では大きな時間と労力のロスである。何より、事故の責任は東京電力が負っている。事業主体は東京電力であり政府の支配下にはない。一定の規制の下で国策ではありつつも福島第一原発は民間事業者が運営する1施設である。そこに総理が乗り込むこみ指示を出すことは越権行為とも受け取れる。確かに原発事故は周辺住民に危険を及ぼすだけでなく国家の一大事である。だからこそ事故対策本部を立ち上げたはずだ。総理が対策本部を超えて現場に直接介入することで現場の対応は受け身となり鈍化してしまう可能性がある。

 3月15日には再び菅総理の現場介入が起こる。福島第一原発の吉田所長は2号機への注水停止と格納庫の圧力上昇によって危機が迫っていることと差し当たって必要のない人員の避難を始める意向を海江田経産相に伝えた。同時に東京電力の清水社長も枝野官房長官に現場の人員を退避させる意向を伝えている。清水社長が全員を退避させると枝野氏に間違って伝えてしまったのか、枝野氏が勘違いして全員が退避すると受け取ってしまったのか定かではない。吉田所長は一部の人員の退避を伝えたのであって完全撤退とは言っていないと明確に否定する。福島第一原発の現場でも混乱が起きている。ほとんどの者が第二原発に退避したのちに吉田所長の指示でリーダー格の職員は再び第一原発の現場に戻っている。枝野氏と海江田氏はこの連絡を受けて福島第一原発から人員が全面撤退するのだと解釈し、そのことを菅総理に伝える。それを聞いた菅総理は東京電力の本店に乗り込み完全撤退はありえない、国家の存亡に関わることであり〝東電は命を懸けろ″と激を飛ばすことになる。これは清水社長の中途半端な報告が引き起こした誤解だと言われている。菅総理が一民間企業に乗り込んで強弁することは常識的に考えられない。菅総理は後に自分が乗り込んだことで東電が逃げるのを止めたと言っている。さすがにそれは詭弁である。東電は現場を放棄していない、戦いを続けている。吉田所長をはじめ現地職員は作業を継続して2号機は危機を脱している。菅総理と枝野官房長官と海江田経産相が冷静な分析と判断を行えなかったという騒動に過ぎない。

 この2号機の危機を受けて現場から5キロほどのところにあったオフサイトセンターの人員は14日深夜に福島県庁に避難している。当初、先遣隊としてオフサイトセンターにいた約150名のうち50名程度が避難する予定であった。池田氏はオフサイトセンターから福島県庁に職員が避難するにあたって「我々だけ現場を離れるわけにはいかない。難破船の船長と同じで、我々はやはり、住民が全部出てもらってから」と殊勝なことを言っているが実際の行動は違った。翌15日の午前中にはオフサイトセンターから福島県庁に避難をしている。当の池田氏は福島県庁に避難するどころか東京に逃げ帰っている。逃げたのは池田氏だけではない。約100名の職員が15日に残っているはずだったが50名ほどしかいなくなっていたという。要するに現地対策本部の職員のうち約50名が職場放棄して逃げたことになる。原発事故の情報が集まる事故対策本部だからこそ起きた背任行為である。おそらく東京にまで逃げ帰った本部長である池田氏が一番遠くまで逃げた人物であろう。避難地区を難破船に例えた池田氏であるが逃げ足の速い船長である。

 現地対策本部は原発事故の対応というよりもむしろ近隣住民の退避と救出が主な任務である。約16万人もの避難住民がいる中で池田氏のメモには双葉病院の93名の避難を確認したと具体的に書かれている。なぜ双葉病院だけ具体的に書かれているのか。答えは簡単、後から書き足したからであろう。双葉病院の患者は医者も看護師もいないまま入院患者だけロビーに集められて救出を待っていた。医者や看護師が患者を見捨てたのではない。一度に百名以上を運ぶことができずに残された患者は第二弾の救援を待つことになっていた。なんと、池田氏をはじめオフサイトセンターにいた緊急対策本部のスタッフは救出を待つ双葉病院の患者93名を放置して先に逃げ出していた。双葉病院はオフサイトセンターから距離にして僅か1キロほどところにある。目と鼻の先に救助を待つ病人が多数いるのに池田氏と現地事故対策本部の職員は自分たちの非難を優先した。そのことを後日問題視されたことから池田氏は双葉病院の93名全員の避難を確認してから自分たちも避難したことをメモに記すことで偽装しようしたと思われる。自衛隊などによって残された記録から双葉病院の患者の救出が完了したのは16日の夜半である。そして、オフサイトセンターにいた緊急対策本部の職員は5日午前中に完全撤退している。病人を残して逃げ去ったと言われてもやむを得ない。15日未明に残っているはずの約100名の職員の約半数は勝手に逃げ去った。残った約50名の職員も救助を待つ93名の病人を残して撤退した。その組織のトップが池田氏であるが、当の池田氏は福島県庁ではなく東京に逃げ帰った。結果、双葉病院の患者のうち6名は搬送中に死亡している。病院で救助されることなく亡くなっていた4名の亡骸は救助の対象とはならず現場に残されたままとなった。災害時の死体の安置は警察と行政の仕事であるはずだ。

 NPO法人TANSAによる池田氏のインタビュー記事によると、移動中のバスの中で患者6人が死亡していることについて池田氏は「双葉病院についてはよく研究する必要があるね。僕は直接聞いてなかったけど長距離の避難だったんでしょ、バスが酷かったんでしょ、何だったんだろうね」「バスを動かす人とか、現場に普通の感覚の人がいれば長距離搬送しなくてもよかったんじゃない?」双葉病院側の対応については「双葉病院はあまりアピールしなかったんじゃない?」と池田氏は言った。病院の職員は自衛隊や警察官、大熊町役場に何度も何度も助けを求めている。アピールが足りないとはよく言ったものだ。池田氏に人間的に破綻している。同じ民主党の松本龍氏が復興大臣の時に「県で意見集約をちゃんとやれ。しっかりやれよ。やらなかったらこっちも何もしない。知らんぞ。」と村井知事に言った発言が問題視されたことがあった。自身にも責任の一端があるはずの双葉病院の患者が放置され取り残された問題について「アピールが足りない」などと言うのは松本龍氏の非ではないくらいの非情で冷徹な鬼畜発言である。医師も看護師もいない中、病院のホールのようなところに集められベッドに横たわっていた寝たきりの患者や車椅子の患者は不安と恐怖に苛まれ乍ら救助を待っていたに違いない。

 双葉病院の鈴木院長は先に避難させた患者を見届けると所轄警察の副署長と一緒に残りの患者の救出に戻ろうと試みる。しかし、原発20キロ以内には入ることができず途中のトンネルの中で待つことになる。もし自衛隊が残りの患者を救助したらそのトンネルを必ず通ることからそこで合流し治療にあたろうと考えたからだ。だが、7時間以上たっても残りの患者たちは現れなかった。そのころ、救助に向かった自衛隊の不手際が発生する。93名を救助するために向かった部隊が35名を現場に取り残してしまった。そのことが発覚し改めて救出部隊が現地に向かう。双葉病院の救出が完了したのは16日未明となった。結局、16日までに25人が亡くなった。内訳は次の通りである。救助を待っている間の双葉病院で4人、2回目の救助の後、いわき市へ向かうバスの中で6人、2回目の救助の後、いわき光洋高校の体育館で8人、3回目と4回目の救助の後、伊達市へ向かうバスの中で2人、5回目の救助の後、二本松市と福島市へ向かうバスの中で5人が亡くなった。救出後にも体力を奪われた患者はその後3か月で更に20名が亡くなった。

 菅直人氏は震災対応について自身の正当性を主張し続ける。冷静さを失い民間企業への威圧を行った誹りは免れない。それよりも菅直人氏の大きな失敗は池田元久氏を現地対策本部長に起用したことだ。池田氏は菅直人氏の暴言や横暴を暴露し自身への批判をそらしたのではないだろうか。池田元久氏は菅直人氏の暴露以外に何かしたのか。あれこれ言うがすべては審議官らがお膳立てしただけで功績は見当たらない。食事はレトルトカレーが2食、寝床がなく机に突っ伏して寝た、など大震災の現場トップが待遇に関して愚痴を吐いている。こんな人物の下でだれが命を懸けて原発事故に立ち向かう気になれるのか。かつて自民党にも同じような輩がいた。熊本大震災の現場対応の為に内閣府副大臣の松本文明氏が現地に派遣された。最初のテレビ会議で自身の食事がおにぎりだけでは戦えないと差し入れを要求。被災者をはじめとする国民から大バッシングを受けた。松本氏は現地自治体から震災対応の邪魔になっていると言われ政府は速やかに更迭している。池田元久氏も同じではないのか。池田氏は現地に着くなり自分の移動に対する段取りの悪さについてクレームをつけている。俺様な態度が目に浮かぶ。食事の文句といい、寝床の文句といい、温泉旅行にでも来た気分だったのだろうか。

 確かに菅直人氏の問題は福島第一原発の対応だけでなく、その後、北朝鮮と関わりを持つ団体への献金疑惑、市川房江氏の看板を利用した売名行為疑惑、年金未納付問題など失態が多く政治家として国民から嫌われている風潮が強い。当時の民主党政権や菅直人氏をバッシングすることは共感が得られ易い状況にあったのかもしれない。池田氏はそれをうまく利用し朝日新聞や事故調査委員会で菅直人氏の失態を暴露することで巧みに問題の矛先を変えたのだと私は思っている。政治家らしいと言えばそれまでだが釈然としない想いだけが残された。災害が発生した場合には現地には現地に根差した政治家がいる。知事も市長も県議も市議もみんなそうであろう。政府が現地の対策本部長として国会議員を東京から派遣する意味があるのか。現地に根差した政治家を頼る、自治体の首長を頼れば良いのではないか。災害の現場に派遣された国会議員には問題が多すぎる。松本文明氏、松本龍氏、務台俊介氏、池田元久氏、みんな問題があると思う。問題を繰り返すということはスキームが良くないと考えるべきだ。さもないと政治家による震災利用の度が過ぎると言われてもしようがないということになる。

 新聞報道についてであるが1号機や3号機を水素爆発に追い込んだのは菅総理の俄か知識による海水注入を中止させる指示によってだという意見も散見される。1号機に関しては吉田所長の聴取や事故調の報告書からはそのような事実は見当たらない。確かに東電本店も官邸に詰めていた東電フェローも海水注入に躊躇していたことは確かである。菅総理は後に海水注入を中止するように指示した事実はないと否定している。東電側にも菅総理からそのような指示を受けたという者はいない。官邸に詰めていたフェローは海水を避けられないかという発言をしているのは確かであるが菅総理の指示は否定している。官邸の空気を読んでの発言であったかどうかも定かではない。実際には現場の吉田所長は官邸にいるフェローからの意見を無視して海水注入を継続していることから水素爆発に至る要因が海水注入ではないことは明らかである。東電本店や東電関係者や現場の吉田所長も海水注入は廃炉に至る選択であるので避けたい意向はあったのは確かだ。3号機に関しては出来るだけ淡水の注水を行う方向性で進めている。ところが高圧注水系ポンプを主導で停止した後に再度稼働させるバッテリーが確保できなくなるという失敗が起きる。復旧作業がうまくいかず消防車による減圧注水に切り替えることになったが圧倒的に淡水が足りない。淡水がなくなり次第、吉田所長は海水の注入に踏み切る。

 1号機にも3号機にも東電本店も官邸にいる東電関係者も淡水の注入を最優先する意向を示している。官邸=菅総理の意向と受け取るマスコミと官邸=東電フェローと受け取る現地の吉田所長との理解の齟齬が菅総理への批判に繋がっていると思われる。いずれにせよ、3号機への注水が中断されたのは注水ポンプの停止によるもので官邸の意向で中断したのではなくアクシデントによってである。吉田所長は官邸からの淡水注入の指示について誰からなのか記憶が欠落しているとし明らかにしていない。もし、海水注入の中止を菅総理が指示していたとしても注水ポンプが動かないという現象は別途発生しているので淡水の注水を速やかに行うことはできない。淡水は残りの80トンを注水して枯渇した。海水を注入したのはそののちである。

 官邸にいる東電フェローに菅総理の意向として海水注水に否定的であることが伝えられていた可能性は否定できないがそれを認める者はいない。菅総理の意向について空気を読んで忖度した可能性もある。とにもかくにも東電本店も官邸内も淡水を優先するという方針氏は一致していたことは間違いない。もし官邸の意向を汲んだことが水素爆発の要因となったとしたら淡水から海水注入に切り替えるために費やした50分が不要でありリスクを高めたということであろう。調査委員会のレポートや各社の報道内容を見ても吉田所長の発言が曖昧であることから菅総理の意向だと紐付けるには無理がある。

 一方、東電内の協議とは別に原子力安全委員会の班目委員長は菅総理に海水を利用することで再臨界は起きないという説明をしているが、菅総理は「そうはいっても1号機で水素爆発が起きたじゃないか」と発言したことが事故調の記録に残されている。そうした菅総理の発言が官邸内で海水の利用に否定的な空気を生んでいたことは察することができよう。1号機の海水注水や3号機の淡水注水に関して菅総理が指示していたことやその指示を一部のマスコミが隠蔽したとことを確定する証拠はないと思われる。

 最後に教科書に乗せて後世に残すべきは菅直人氏の福島第一原発事故対応に関しての失政ではないと考える。被災地と被災者が復興に向けて取り組んだ道程の方が余程貴いし意義がある。大東亜戦争の敗戦後、他国からは日本の復興は50年以上かかるのではないと言われていた。東名阪をはじめ大都市はことごとく焼け野原の状態。そこからの復興はわずか20年で戦前以上の状態に復興、そこから20年後には世界をリードする経済大国となった。その原動力となったのが戦地で戦い帰国した戦士たちである。東日本大震災からの被災地の復興も然りであろう。大きな困難を立ちはだかってもそれに立ち向かう勇気とそれを乗り越える叡智を教科書に込めてもらいたいと願うばかりである。


参考

イラ菅 浜田聡ブログ 2024.02.02

https://www.kurashikiooya.com/2024/02/02/post-18111/

池田元久・元経産副大臣の訃報に接し、菅直人元総理の原発対応を振り返る 時間泥棒

https://note.com/timethief/n/n513fc07ce5be

福島第一原発事故と4つの事故調査委員会 国立国会図書館 11P

https://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_3526040_po_0756.pdf?contentNo=1

聴取結果書 池田元久 内閣府HP

https://www8.cao.go.jp/genshiryoku_bousai/fu_koukai/pdf_2/543.pdf

菅首相らの原発対応「泥縄的な危機管理」 民間事故調

http://www.asahi.com/special/minshu/TKY201202280654.html

菅直人氏の見苦しい嘘 池田信夫 アゴラ

https://agora-web.jp/archives/1547049.html

菅直人が東日本を救ったという風説は嘘。 DDOGのプログレッシブな日々

http://ddogs38.livedoor.blog/archives/18204142.html

「吉田調書」など公開 菅直人元首相は福島原発事故で何を批判されているのか?

https://news.yahoo.co.jp/articles/cd3f370f57f3047dd942bff399fc352fc3133d0e

東電に「命をかけろ」と言ったのは間違いではなかった…東日本大震災を陣頭指揮した菅直人の自戒と教訓 プレジデント

https://president.jp/articles/-/79353?page=1

なぜ東電本店に乗り込んだか(3月15日) 菅直人HP

https://n-kan.jp/fukushima110311/tettaisoshi/

調書は語る 吉田所長の証言⑨東電「撤退」首相本店へ 何を騒いでいるんだ 東京新聞

https://www.tokyo-np.co.jp/article/236813

首相、激しい身ぶり 無音の映像、硬直する社員 東電テレビ会議映像公開 福島民報

https://www.minpo.jp/pub/topics/jishin2011/2012/08/post_4913.html

双葉病院事件 TANZA

https://tansajp.org/investigativejournal_category/futaba-hospital/

福島原子力発電所事故3月11日〜15日 メモランダム(覚え書)池田元久HP

https://archive.md/ZLC94#selection-139.0-143.12

TANZA 双葉病院

https://youtu.be/5ju802D4fwY

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