日本共産党の綱領改定について(参議院浜田聡議員のお手伝い)

やばい、NHK党の立花党首がハゲ党を立ち上げるそうです。何かハゲましてくれるのでしょうか。ハゲは選挙で票を取らないのだそうです。ハゲしく同意。それは控え目だからなのではないでしょうか。今日は曇りのちハゲ・・・。私のハゲは中心点爆破タイプのザビエル風です。ハーゲンダッツが好きです。ハゲ党に望むことは〝散髪代のハゲ割引の法制化〟です。以上。

さて、昨日は参議院浜田聡議員のお手伝いに上がり日本共産党の綱領改定について考えてみました。

日本共産党が2020年1月の第28回党大会で綱領の一部を16年ぶりに改正しました。主には後述のような事項です。

中国をベトナム、キューバ、北朝鮮とともに「社会主義をめざす新しい探求が開始」されていると規定した一文を削除して、これらの国をモデルとせず「発達した資本主義国での社会主義・共産主義への前進をめざす」とし、「前人未到の道の探求」をするとしています。

中国の最近の覇権主義的動向を非難する姿勢を打ち出しました。最近の中国の南シナ海における力による現状変更、沖縄県・尖閣諸島沖の領海侵犯、新疆ウイグル自治区での人権弾圧、香港のデモでの香港政府への全面支持などを列挙し、「大国主義・覇権主義の誤り」として非難しました。

また、同報告の中で「ソ連覇権主義という巨悪」と、かつての共産主義の宗主国にして日本共産党の生みの親であるソ連を批判しています。

さて、これらの改定をすることの目的には2021年の衆院選や2022年の参院選を視野に入れた立憲民主党やれいわ新選組などとの野党共闘に参加する為とも目されています。実際に日本共産党の第28回党大会では2022年までに「野党連合政権」を樹立すると目標を掲げています。よって、日本共産党の選挙対策であることは間違いないと思います。日本共産党は国際社会における共産主義・社会主義国の評判が悪くなっていて、自らの選挙にマイナスになると考えて姿勢を変えているのだと思います。

日本共産党が強く中国の脅威を認識しているのであれば、防衛力整備や日米安保体制の強化などを訴えるべきで、自衛隊解消、日米安保条約廃棄を唱える部分を変えないのは改定した事項と明らかに矛盾が生じています。

また、ソ連を批判するに至っても共産主義思想を捨てることはない日本共産党は相反する主張に過ぎません。なぜならば、ロシア革命後のソ連が行った粛清や宗教弾圧、政治犯の強制労働などの残虐や蛮行も共産主義の実現の為に行われたことだからです。

上記のようにご都合主義とも受け取れる日本共産党が野党と共闘することになれば野党全体の印象が左傾化することになり、私は国民に与えられる選挙の選択肢としては好ましくないことであろうと思います。自民党は2021年3月9日の閣議において現在でも日本共産党が破壊活動防止法に対する調査対象団体に指定されていることを明らかにしています。政府は日本共産党が「暴力主義的破壊活動を行った疑いがあり、現在でもこの認識に変わりはない」と質問主意書の答弁書で明確に記しています。日本共産党が、日本で暴力による共産主義革命を起こそうとしたことは歴史的事実です。武装闘争を行い、騒乱を起こしたことも、革命闘争による死者を出してたこともあります。公安調査庁はホームページで「暴力革命の可能性を否定することなく、現在に至っている」と公式の見解を明らかにしています。http://www.moj.go.jp/psia/habouhou-kenkai.html

日本共産党は立憲民主党など他党に選挙での共闘を呼び掛けています。しかし、立憲民主党や国民民主党には民主党政権時代に閣僚を経験した者も多いはずです。その民主党政権下においても日本共産党は破防法の対象団体であり、政府見解が変わるようなことはありませんでした。共産党の暴力革命を肯定するような政権はないと思います。それでも、立憲民主党を中心に目先の選挙目当てに日本共産党と連携することは暴力革命の片棒を担ぐ行為に他ならないような気がします。

以上、簡単ではありますが私の日本共産党の綱領改定に対する感想です。

さて、せっかくですので日本共産党のことを正しく理解してもらう為にもう少しだけ軽く紹介してみようと思います。

日本共産党の最終目標は日本の共産主義化です。ですので、資本主義を根本から否定しています。国家ではなく共産党の指導下での経済活動を主張しています。綱領には「生産手段の社会化」という表現していますが、これが共産主義への第一歩である社会主義化を意味しています。社会主義化に次ぐ目標が共産主義化です。共産主義では政府も軍隊も警察も必要がなくなると謳っています。そんな状態を日本共産党は国民が主人公である社会と表現します。しかし、本当にそうでしょうか。一党独裁で無秩序な世界だと日本も中国や北朝鮮のようになってしまうのではないでしょうか。

日本共産党は1922年に設立されています。ソビエト社会主義共和国連邦のコミンテルンの一つとして設立されました。コミンテルンとはソ連が世界を共産主義化することを目論んで各国に作った地下組織です。ソ連は自国の各地にある団体に評議会を設けて協議を行い、多くの意見を各団体から集約して高度な評議会を組成することで労働者の国が出来るとしていました。しかし、それは全くのでたらめです。ソ連では結果として評議会が人々を厳しく監視する機能を負うとなりました。反抗するものは直ちに粛清されました。一説にはその犠牲者は2000万人から3000万人とも言われています。第一次世界大戦と第二次世界大戦のソ連の死者合計は2000万人ほどですからソ連の独裁による自国民に対する粛清はすさまじい虐殺だと言えます。

共産思想の祖であるマルクスは資本主義を徹底的に批判しました。資本主義は人間性を根本から否定するものとして殲滅しなければならないものだとしました。資本主義を敵視することでソ連は世界を共産化しなければならないと主張しました。しかし、その実態は支配を強化し権力を維持することでした。その為に共産主義という思想を利用したにすぎません。ソ連は世界で初めて共産主義革命に成功し一党独裁体制を整えました。その実態はとてつもない恐怖政治でした。独裁政権および独裁者は自分たちに反対する者を労働者の敵だとして粛清しました。つまり、独裁の維持と権力の保持のために共産主義思想を利用したということになります。

日本共産党の元書記長として約40年にわたり最高指導者として君臨した不破哲三氏は資本主義を打倒して国民全体が平等な国家を作ろうと発言していました。ところがその不破哲三氏自身は浮世離れした大豪邸に暮らすブルジョワぶりなのです。門から玄関まで車で行くような巨大な自宅に暮らしていました。彼は自身の独占欲や支配力などを正当化するために共産主義思想を利用したと言えるのではないでしょうか。

参考:グーグルマップより不破氏自宅

1922年にソ連のコミンテルンの一つとして設立された日本共産党はいわば秘密結社のような地下組織といって良いようなものでした。1932年にはソ連のコミンテルンから「32年テーゼ」と呼ばれる指示が出されています。その内容は簡単に言うと天皇制を打倒し警察を破壊してクーデターを起こし日本を制圧せよということでした。その手段としては全国の労働者に共産思想を吹き込んで組織化して立ち上がらせて警察と闘えという暴力的なものでした。

日本共産党の関係者にコミンテルンより資金提供もあったと言われています。これは当時の日本でも大きな問題となり騒ぎになったようです。それ以外にも日本共産党の党員が日本で最初の銀行強盗を大田区で起こしています。拳銃を持って三人で銀行に強盗に入り今の価値に換算すると6000万円にも及ぶ金銭を奪っています。人員と金を集めて暴力革命によって共産主義革命を達成しようとしました。

みかねた当時の政府が制定した法律が治安維持法です。現在の学校教育で治安維持法に関して政府を批判する人を軒並み取り締まる為の悪法だと教えていますが、実は暴力革命よって国家の転覆を諮る共産党員を取り締まる為に制定されたものでした。共産党によるクーデターを防ぐための法律だったとしたらこの法律の印象は随分と変わります。同時にこの法律の施行に合わせて特別高等警察(特高)が作られました。この治安維持法は日本が開戦に進むと特高の取り締まり対象が広範囲となり反戦論者などを一律に取り締まるようになり悪法と呼ばれるようになりました。

資料:Konanshaより宮本顕治氏と毛沢東氏

戦前から共産党員として活動していた後の日本共産党書記長の宮本顕治氏は、同じく共産党員の大泉氏と小畑氏をスパイとして査問と称する拷問を行いました。この頃、特高は共産党員にフリをして日本共産党に潜入することで情報を得ることがしばしばありました。よって、多くの共産党幹部が逮捕されるような情況にありました。宮本氏は大泉氏や小畑氏に対してスパイだという疑いを持つことで拷問するに至りました。数日に及ぶ残虐な拷問により偽の遺書を書かせたうえで殺害に及びました。大泉氏は一命を取り留めましたが小畑氏は無残にも惨殺されてしまいました。機関紙「赤旗」に両名のことを党を撹乱する者として極刑に処するという記事が掲載されていたことから特高が捜査を進めて宮本氏を逮捕することになったようです。宮本氏は治安維持法違反、監禁致死、監禁致傷、傷害致死、死体遺棄、銃砲火薬類取締法違反などで無期懲役判決を受けました。しかし、現在でも日本共産党は宮本氏に下された判決を認めようとしません。宮本氏が拳銃を所持していたにも関わらず無罪を主張していることに驚きます。宮本氏は裁判の中で小畑氏に風呂敷をかけたりしているうちに死んでいたなどという頓珍漢極まりない証言をしています。殺人犯として無期懲役は当然のことですし、日本共産党の殺人をも厭わない暴力体質であることが浮き彫りになったと言えます。

そんな最中、終戦後にGHQが政治犯を全て釈放するように政府に命じました。よって、治安維持法違反で拘束されていた者はみな釈放されました。多くの共産党員が釈放されましたが、その一人に宮本顕治氏も入っていました。宮本氏は監禁致死の罪で服役していた殺人犯なのですから政治思想犯ではありません。リンチで殺害に及んでいる凶悪犯です。宮本氏は治安維持法による有罪判決ではなく監禁致死による殺人罪で裁かれて刑に服していたのです。つまり、宮本氏は政治犯と間違われで釈放されたのです。それでもGHQは宮本氏を政治犯だとして刑を無効にしました。

日本政府は宮本氏についての司法判断は有効であって刑の無効は違法だがGHQの占領下だからということで適法とした国会で釈明しています。当時のGHQは日本共産党を是認し、労働組合の組成を進めたりしていました。この労働組合が日本共産党の支持基盤となり1946年の衆議院選挙で5人の国会議員を生み出しています。

1951年に共産党大会で採択された綱領を「51年テーゼ」と呼ばれています。当時の共産党は国会に35人の衆議院議員が誕生していました。議員の中には平和革命路線を主張する者もいましたが結果的に日本共産党の正式な声明としてマルクスの理論はあくまで暴力革命でありそれが正しい理論であり本当の意味の共産主義だと発表しました。「日本の解放と民主的改革を平和の手段によって達成し得るのは間違い」だとか、「武相の準備と行動を開始しなければならない」という内容でした。この武装闘争不可避論や暴力革命闘争路線を明確にしたことよって党員が大きな反社会的行為を引き起こす結果となりました。

練馬事件では10名も共産党員が警察官を鉄パイプや棍棒で滅多打ちにして惨殺しました。札幌でも共産党員が警察官を射殺するという白鳥事件が起きています。愛知の大須では不届デモの大規模デモを企てた共産党員が警察に向かって火炎瓶などを投げつけて多くの警察官を負傷させて269名もの逮捕者を出しました。血のメーデー事件では皇居外苑で共産党のデモ隊と公安が衝突し学生の死者が出ています。多くの共産党員が列車の爆破事件や交番の焼き討ち事件など凶悪なテロ行為を各地で繰り返しました。

1950年当時は朝鮮戦争が勃発し共産主義が恐れられるようになりつつありました。共産革命が成功すると一党独裁の恐怖政治により粛清の嵐が吹き荒れる。更には他国へも攻め込むで支配する。共産主義の理想だけではなく武装して戦争まですることに世界が脅威として認識しだしていた時期でした。

そうした中で日本政府も全国に広がる共産党員による暴動や凶悪犯罪を強く危惧していました。時の吉田茂内閣は1952年に破壊活動防止法を制定して暴力的な団体に活動の制限を加えれることとしました。この法律は偏に日本共産党に中てた法律です。

そして、その直後に行われた総選挙では日本共産党の候補者が全員落選し、国会議員が35人から0人となりました。これは共産党の暴力行為が連日の如く報じられた結果であり、国民は毅然して暴力に拒否を示した結果に過ぎません。共産党はこれによって武装闘争路線を撤回しました。ただし、撤回理由として武装闘争自体は間違っていないが武装闘争をする時期が間違っていたのだとしました。党勢を拡大し政権の転覆を狙えるようになった時期には武装闘争を用いたら成功するはずであるという認識を明かしました。よって、共産党は51年テーゼを否定しておらず、今後の武装闘争は警察の出方次第によるという姿勢です。よって、現在でも日本共産党は破防法による監視団体に指定されています。日本共産党は憲法9条を守れとか声高に平和を語りますが、実はその素性は暴力に頼ることで主義主張を通そうとする暴力的で脅迫的な団体なのです。破防法には日本共産党ともに地下鉄サリン事件を起こしたオウム真理教や革マル(革命的マルクス主義派)や朝鮮総連が監視団体に指定されています。

1952年の総選挙における大敗北で暴力革命や武装闘争を日本共産党は否定せざるを得なくなりました。これに納得のいかない過激分子たちは強く反発してブントを結成し暴力的革命を独自に目指すようになります。この頃は岸信介政権下で日米安保条約の改定が議論される時期でした。

日本共産党はデモを行ったり、国会に請願を出す程度の活動に留まっていました。それに反発したブントの活動家は新左翼と呼ばれ国会に突入を図ったりしました。この新左翼の活動に触発されたのか国会は数万人に取り囲まれて抗議行動が活発化する状況になりました。

ところが、これらのブントは分裂と抗争を繰り返していました。マルクスは発展は闘争によって生まれるということなのでこれらの分裂と抗争の繰り返しはしょうがないことだったのかもしれません。それはお互いのグループが襲撃し合ったりする事態に発展していき内ゲバは過激化の一途を辿るようになります。内ゲバによる死者は100人を超えるまでになっていました。内ゲバが続く中で学生運動は国民の支持を失っていきました。

資料:土曜日の書斎より 浅間山山荘事件

そうした中、連合赤軍があさま山荘事件を起こしました。彼らは自身のグループのメンバーを総括という名のもとにリンチで12人も殺害しました。その後、10日間にも及ぶ立て籠り事件を起こし警察との激しい銃撃戦を繰り広げました。連日の報道により多くの国民がその姿を目の当たりにし、暴力的革命闘争は衰えていきました。

参考:cheerfulsmile.orgよりカンボジアの殺戮

以上のことからも共産主義革命が導く先とは何なのかがわかりました。ソ連や中国やベトナムのように革命に成功すると独裁政治と粛清による大虐殺が始まります。ソ連は約2000万人、中国は約4000万人、ベトナムは約200万人を虐殺したと言われていますがその数は未だ未知数です。また、革命に行き詰ると内ゲバが始まります。仲間内で殺し合いが始まり、警察と衝突し自滅していきます。共産主義の宿命だと思います。

資料:エポックタイム社より 毛沢東、スターリン、ポルポト

現在の共産党は融和路線を取っています。しかし、騙されてはいけません。天皇は神に国民の幸福を祈る存在です。共産党は天皇制を受け入れるフリをしています。共産主義は唯物論ですから天皇制は相いれません。忘れてはならないのは日本共産党はあくまで共産主義を求めているのであって民主主義や資本主義は共存しないのです。共産党の目指す共産主義には神もいなければ人間の心もありません。歴史も伝統も文化もありません。民主主義でも資本主義でもなく共産主義化を狙っているのです。彼らの是とする革命路線とは、日米同盟を解消し、安保条約を破棄します。そして、自衛隊を段階的に廃止します。これらのことを野党共闘という統一戦線によって達成すると綱領に明記しています。共産党はこれに成功すると生産手段の社会化に進めるとしています。つまり、日本の社会主義化です。共産党の綱領によると日本が社会主義国になれば貧困がなくなると言っています。労働時間も短くなって人間らしい生活が出来るようになると言っています。まるで中国や北朝鮮が唱えた楽園思想と同じです。一切の緻密な経済理論を提示せず、経済発展の手法も明かさずに共産党は社会から貧困を無くせるというのでしょうか。彼らは国会でも地方議会でも反対ばかりを声高に言うが、こうすればよいという案は滅多に出してきません。社会が豊かになる方法を示さずに主義主張ばかりを唱え、共産主義革命によって飢えも貧困も犯罪も無くせるというのです。綱領ではそういった社会の発展によって国家権力自体が不必要となると言っています。なんのことやら全く理解できません。国家権力がないということは犯罪も起きませんし、警察も軍隊も必要ありません。経済政策もありませんし、福祉政策もありません。貧困も争いもなくなるし生活保護も必要がないと言います。これを聞いてその通りだと言う人がいるのが不思議でなりません。

戦後、共産主義が非合法化されそうになったことがありました。GHQは戦後まもなく拘束していた共産党員を釈放しました。そして、各地に労働組合を結成させて共産党の支持基盤を構築しました。よって、1949年の衆議院選挙では共産党議員が35人も誕生しました。しかし、1950年に朝鮮戦争が勃発するとGHQは日本を共産主義思想との壁にしようと考えました。しかし、共産主義活動は思ったよりも広がりを見せており、各地で過激な事件や騒乱を起こしていました。1950年には皇居前広場に共産党員が5万人も集結する人民前広場事件が起きました。天皇制に反対する共産主義者と占領軍が衝突する事態になりました。GHQは日本の共産化を恐れ共産党員を公職から追放するというレッドパージを断行するに至りました。マッカーサー元帥は吉田茂首相に共産党の非合法化する案を投げかけました。しかし、吉田茂首相は国民のそのような声がまだ小さいということで非合法化は行いませんでした。吉田茂首相は自身の自叙伝で「後になって考えるとやっぱり非合法化しておけば良かった」と回顧しています。

以上、日本共産党の歴史を浅くではありますが見てきましたが、文字通り血塗られた歴史です。日本においては共産主義革命は達成されていませんので粛清による殺戮は起きていません。しかしながら、革命に敗れた者たちは仲間内で殺戮を繰り返しました。ブントによる争いでは数えきれないほどの命が殺戮によって失われています。また、自身の主義を達成する為に多くの暴力的な事件を起こしたり、機動隊や公安や警察に死傷者を出しています。このような日本共産党の血塗られた暴力と殺戮の歴史は犯罪という域を超えて国体を破壊し国家の転覆をはかる日本国家と国民に対する凶悪な挑戦に他ならないように思います。

昨今、かつてのやくざが暴力団と呼ばれ国家によって粛清を図られるようになりました。しかし、政治に名を借りて武装闘争や暴力革命を行ってきた日本共産党は暴力団どころではない悪行を重ねてきました。それにも関わらず約27万人の党員と100万人近い機関紙赤旗の購読者いることは慙愧に堪えないことであり、醜いことだと思えてきます。暴力団もいわば業界内での内ゲバが起こり暴力的な抗争を繰り広げることがあります。共産党はその活動がマルクス思想に則って既に暴力的な革命を目指しており信条としているのです。そのような発想は実に反社会的であり危険な思想です。世界の多くの国で共産主義を是としていません。資本主義的にも民主主義的にも世界をリードするほどの発展を遂げた日本において共産主義革命を企むことはナンセンスであり時代遅れに感じます。共産党なんていう名前で活動している政治団体があるのは日本とフランスだけだと思います。ドイツやタイでは共産党は禁じられていると思います。

共産党に票を投じる人の多くは政権に批判的な方でしょうが暴力を容認する人や国家の転覆を望む人ではないような気がします。はっきりと反対意見を言えるというだけで共産党を支持することの危険さを国民はもっと知るべきだと思います。日本の歴史と文化を守り、治安を維持する為にも日本共産党について多くの国民にもっと正体を知ってもらう方策を政治家が主導して考えていくことも必要だと思います。

最後に私はどれだけ素晴らしい主義や主張や思想であろうとも暴力には反対です。暴力はおろか違法行為にも反対です。暴力や違法行為を行った時点でその目的や理想はすすけて濁ったものに思えるのです。暴力で達する理想とは何なんでしょう。そこに幸福はあるのでしょうか。暴力が許されるのは自分の身を守る時だけだと思います。法律もそうです。国民に平等に課せられる遵法ルールを破ることで何かに達したとしても、それに価値はあるのでしょうか。商売も政治も一線を越えるとなんでもできてしまうのかもしれません。でも、一線を越えることで得たものは賞賛に値するものなのでしょうか。自分すら満たされない儚いものになってしまうのではないでしょうか。与えられた環境でいかに腕を振るうかが各々に課せられた宿命なのではないでしょうか。暴力や違法行為からは私は正義を感じられません。

最後までご拝読を賜りありがとうございました。


参考:共産党HPより綱領改定案 https://www.jcp.or.jp/akahata/aik19/2020-01-19/2020011907_01_0.html

  ウィキペディア 共産党 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%85%B1%E7%94%A3%E5%85%9A

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