敵基地攻撃能力の保有について
衆院選が始まりましたね。選挙の戦況はどうかな?私は投票より頭皮が気になります・・・。
敵基地攻撃能力の保有について少しだけ書こうと思います。
先日行われた自民党総裁選で総裁候補の一人の驚くべき発言を耳にしました。敵基地攻撃能力の保有について「昭和の時代の概念だ」と切り捨てたのです。その人物こそが河野太郎元ワクチン担当相で、元防衛相でもあります。河野氏は敵基地攻撃能力を保有することを時代遅れの代物だと認識しているようです。
この議論の発端はというと、2020年6月に河野太郎防衛大臣が唐突に、秋田と山口に配備を予定していた地上配備型迎撃システムのイージス・アショアの導入断念を発表したことに始まります。それを受けて、政府は間髪入れず国家安全保障会議(NSC)を開催し、代替策を検討することが決まりました。そのもっとも有力な手段が、「敵基地攻撃能力」の保有です。当時の阿部首相は「打撃力(敵基地攻撃能力)について正面から議論する」と述べ、迎撃システムが導入できないのならば、代替策として敵基地攻撃能力保有が必要だとの考えを表明しました。つまり、河野太郎氏は専守防衛のためのイージス・アショアも敵基地攻撃能力も両方共を否定しているのです。他方、河野氏はあらゆる手段を検討するべきと発言するばかりで、河野氏自身による代案の提示は見られません。国家の平和と国民の生命と財産を守るという使命感を河野太郎氏は備えていないのでしょう。
さて、敵基地攻撃能力の保有という考え方は、昭和30年の内閣委員会における国会答弁が最初でした。当時の鳩山一郎首相の答弁を引用すると
「わが国に対して急迫不正の侵害が行われ、その侵害の手段としてわが国土に対し、誘導弾などによる攻撃が行われた場合、座して自滅を待つべしというのが憲法の趣旨とするところだというふうには、どうしても考えられないと思うのです。そういう場合には、そのような攻撃を防ぐのに万やむを得ない必要最小限度の措置をとること、例えば、誘導弾などによる攻撃を防御するのに、他に手段がないと認められる限り、誘導弾などの基地をたたくことは、法理的には自衛の範囲に含まれ、可能であるというべきものと思います。」【1956(昭和31)年2月29日 衆議院内閣委員会において。鳩山総理答弁】
確かに法理的には、かろうじて自衛の範囲に収まるとも思えますが、私は以下の理由により、この案件は極めて慎重に議論しなければならないと考えます。
現行憲法において許容される武力行使とは、個別自衛権の行使(専守防衛)のみであり、これを実行する際の武器の使用には、厳格な3要件が課せられています。
①我が国に対する急迫不正の侵害の発生
②武器使用以外に適当な手段がない
③武器使用は必要最小限度に限る
6年前に制定された平和安全法では、「我が国に対する直接の侵害は発生していないが、わが国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、そのことによりわが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由および幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合」にも武力行使を認めるとしています。武力行使の3要件をリニューアルして、集団的自衛権に少し踏み出したとも見える解釈変更で、現行憲法との整合性を図っています。
今回の「敵基地攻撃能力」の保有と行使を、従来の武器使用の3要件に照らして検討すると、相手国が我が国に向けたミサイルに燃料を補填し、今まさに発射させようとしているところを先制攻撃しなければ、敵基地攻撃の意味はなく、必然的に要件①の「我が国に対する急迫不正の侵害の発生」以前の武力行使となります。したがって要件の拡大解釈あるいは見直しが必要となります。
次に要件②の「武器使用以外に適切な他の手段がない」という点ですが、我が国が直接敵基地を叩かなくても、米軍に代わりに叩いてもらうシナリオの方が可能性は高いと思います。またその方が日米安保条約で定める役割分担、すなわちアメリカは「矛」、日本は「盾」に徹することに適うものだと考えます。敵基地攻撃能力という「矛」を我が国が持つことは、この役割分担を大きく変更することであり、日米安保体制の再定義が必要となることが考えられます。
要件③の「必要最小限の武器使用」についてはどうでしょうか。現在の自衛隊の装備を持ってしても、未だ敵基地攻撃の能力を保有するに至っていませんが、今後空自のF15戦闘機やF35A戦闘機に搭載する対艦・対地用ミサイルの装備や、トマホークに匹敵する巡航ミサイル導入など、射程距離500キロから900キロの「飛び道具」を装備しようとしています。このような敵基地攻撃能力を保有するための攻撃的兵器を装備するには、「攻撃的兵器の保有は自衛のための最少限度を超える」としてきた政府見解を変更する必要があります。実際にこれを使用するか、その可能性が高いということになると、要件③も見直さざるを得なくなるのではないでしょうか。
なお敵基地攻撃を可能にするには、武器の保有だけでは済みません。情報収集、分析、偵察、レーダー撹乱などの能力の向上が必要となる。日本独自の早期警戒衛星の導入や電子偵察機の増勢、敵の防空能力を無力化させる統合監視目標攻撃レーダー・システムの整備が欠かせません。これらのことを考えますと、相当米軍の力を借りなければならないだろうと思います。だからこそ本来は米軍の攻撃能力に委ねるべき分野なのだと思います。
そして、我が国が敵基地攻撃能力を持つということは、例えそれが北朝鮮のみを想定していると対外的に説明しても、中国やロシアの対日懸念が増大することは必死です。一定の外交的摩擦を覚悟しなければなりません。我々は敵基地攻撃の功罪や費用対効果をきちんと分析した上で、導入の可否を決めるべきです。そして導入となれば武器使用の3要件の見直しにとどまらず、現行憲法9条の解釈変更や改憲も視野に入れながら、慎重にも慎重な議論を行わなければなりません。戦時ならまだしも憲法には罰則規定がないから守らなくても良いと言う主張はサッカーで言えばオフサイドだと思います。憲法についてここでは書き切れるような軽々な問題ではありませんが、改正が必要だとは思えど、憲法が必要ないとか破っても良いだとかは思ったことがございません。
2021年10月19日に北朝鮮が日本海上に潜水艦発射弾道ミサイルを発射するという挑発行為を受けて、岸田総裁は「敵基地攻撃能力の保有も含め、あらゆる選択肢を検討するようにした」ことを明らかにしました。現在、公示されている衆議院選挙の自民党のマニュフェストには「相手領域内で弾道ミサイルを阻止する能力」を保有する抑止力強化を推進すると明記されています。解釈によっては積極的な攻撃とも受け取れることから、憲法改正も視野に入れつつ、米国をはじめとした国際社会への働きかけと連携を強化していくことがの重要であろうと考えます。
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