野球部でのシゴキは無駄なのか?
豚かつ、部活。
夏の高校野球が何かと話題となっていた。広陵高校の部内暴力事件、暑さ対策、DHの導入案、1試合7回制案、全校生徒が23名しかいない通信制高校の出場、公立高校がベスト8に勝ち進んだ件など話題が豊富である。
かく言う拙者も35年前は高校球児の端くれだった。公立高だが1学年下は甲子園出場を果たしている。当時の野球部では当たり前だったことが何故か今では一大事として問題視される。部活動にしごきなんてものは当たり前。野球部に至っては、バットは球を打つものではなく竹刀として活躍していることの方が多いくらいだ。上級生のみならず顧問の先生はその先頭にたっていた。真夏の炎天下、水分補給は許されず皮膚は白く塩が吹き鱗模様になっていた。足腰を鍛えるためにうさぎ跳びをしながら頭上で剣道のようにバットを振り続けてグランドを何周もするシゴキも毎日のように行われた。先輩たちはそれを「人生学園」と呼び、エラーしたり、チャンスに凡退すると、「てめぇ、人生学園3周してこい!」という具合で指令を受ける。苦痛に涙しながら人生学園を行う。集合時間に遅れると容赦なくビンタが見舞われる。ビンタをされると「ありっした!」となぜか礼まで言わされる。アントニオ猪木のビンタでもなくただ1、2年早く生まれた人のからのビンタだ。ありがたいわけがないのに。
指導者、先輩、後輩に絶対的なヒエラルキーが存在したことに理不尽や不条理を感じてはいたが異を唱えることはなかった。それはなぜか、先輩たちもそのような理不尽な状況を黙って乗り越えてきたことを知っていたからだ。そうだとすれば負の連鎖は止まらない。少なくとも当事者では止められない。
そんなシゴキや体罰を乗り越えることで何か得たものはあるのか。何を得たのかよくわからないが、結果的な事実として野球部の進学実績が他の部活よりも群を抜いて良かった。京都大、大阪大、神戸大、同志社、立命館、関西学院大ほか医学部に進学した者もいた。野球部で培った忍耐力と集中力が功を奏していたのだろう。ただし、野球は補欠、大学も三流という拙者のような例外もいるのだが。
シゴキや体罰を肯定はしない。だが、理不尽や不合理なこと、一見無駄に思えること、合点がいかないことが社会には溢れている。そのようなことの方が多いくらいだ。その都度、挫けたり、敵対したり、投げ出したりしていては人生のロスに繋がる。改善したり淘汰することは良いことだが、そもそも、そのようなことをものともしない超合金のような強い心身を備えていたいものである。小学、中学、高校と野球部を通じて得たものは鋼の精神力だろう。得体の知れないものかもしれないが、それこそが何物にも代えがたいものでもある。
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