治山治水対応について

(2020年7月8日に作成した文章です)

下記写真資料:令和元年台風19号緊急災害支援募金 (Yahoo!基金)

令和2年7月3日以降に熊本県を中心に記録的な大雨に見舞われて7月7日現在で57名が死亡、2名が心肺停止、12名が不明になっています。被害は鹿児島県や大分県、岐阜県や長野県にも及んでおり拡大しつつあります。

犠牲になられた皆様と遺族の皆様に哀悼の意を示すとともに被災された方々に謹んでお見舞い申し上げます。

さて、菅官房長官はこの豪雨への対応として熊本県の球磨川上流の市房ダムの水位を下げる事前放流を実施したことを明らかにしました。また、政府は6月にダムを活用した洪水調整機能の強化策を纏めており、菅官房長官は全国的に大雨が続いていることから、既に全国の15のダムで事前放流を実施していることを発表しました。平成30年には西日本豪雨が発生し岡山県倉敷市などにたくさんの犠牲者と大きな被害をもたらしました。令和元年には千葉県の房総半島を中心に台風19号が猛威を振るい甚大な被害が発生しました。

政府は災害の復興と復旧に尽力することはもちろんのことですが、大型台風や集中豪雨が今後も繰り返し発生することを念頭に強靭な国土への改良に取り組み国民の生命と財産を守らなければなりません。安心安全な社会の構築は最重要な事項です。

大きな被害をもたらした災害に共通していることは都市部と山間部を同時に襲っていることです。毎年のように甚大な被害をもたらす台風や豪雨を省みて今の日本の山や河川や都市機能は耐える能力が不十分であることが明らかです。

防災に大切なのは治山治水ですが、人類の自然災害との戦いは終わりがありません。戦中、戦後、高度経済成長期を通じて日本の治山治水への取り組みは不十分でした。バブル時代においては政府は林業を見捨てるような極端な政策を進めました。この結果、山林は荒廃しました。山の保水能力は弱まり土砂を固める力は衰えました。日本の山林は瓦解しやすくなってしまったと言えるかもしれません。戦時中から戦後を通じて河川対策もおくれました。第二次大戦以前は運輸省の中心は河川局でしたが戦後は道路局になりました。河川の整備はあとまわしにされました。台風19号は大被害をもたらしましたが、この原因は、この百年間「治山治水」をなおざりにしてきたことにあることは明らかです。

現在、熊本県南部での集中豪雨で1級河川の球磨川氾濫し甚大な被害が出来ていることに関して蒲島郁夫知事は5日「ダムによらない治水を12年間でできなかったことが非常に悔やまれる」と報道陣に語っている。球磨川水系では1966年から治水など多目的の国営川辺川ダム計画が進められたが反対する流域市町村の意向をくんだ蒲島知事は2008年9月に計画反対を表明しています。当時の民主党政権も中止を表明して09年から国と県と流域市町村でダムに代わる治水策を協議してきたが抜本策を打ち出せずにいたという状況下にありました。この12年間の治水に対する取り組みは果たして適切だったのでしょうか。

 →国土交通省に伺います。川辺川ダムの中止を受けて以来の球磨川の治水における取組を具体的に教えてください。

 →ダムに頼らない治水を極限まで検討するということですが、その検討の具体的な内容をご教示ください。

 →検討を行っている間、つまり、直近の11年間において球磨川流域のインフラ整備や住環境や生活機能の変化や発展に応じて抜本的な方針の見直しを国と県で検討や協議することは無かったのでしょうか。

群馬県の八ッ場ダムも民主党政権時に工事を中断しましたがその後再開しています。試験貯水中だった昨年10月の台風19号で治水効果を発揮しています。

毎年日本各地で繰り返される自然災害から検証し将来における大規模災害に備える為の計画と投資を不断に行うことにより国民の安全を図る取り組みに注力することを強く望んでやみません。

また、時として想像を超える力で襲ってくる自然災害に対して国民の一人ひとりが自分の身の安全を守るために取り組む自助を啓蒙して行くも大切だと思います。


参考資料

7月6日毎日新聞

https://mainichi.jp/articles/20200706/k00/00m/040/011000c

八ッ場ダム

https://yamba-net.org/gaiyou/keikaku/

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